美容医療における特許権侵害を認めた画期的判決 – 東海医科v.Y事件の影響と今後の展望

目次

はじめに:医療業界に激震をもたらした判決

2025年3月、知的財産高等裁判所が下した一つの判決が、美容医療業界に大きな波紋を広げています。「東海医科 v. Y」事件(令和5年(ネ)10040号)は、従来「医療行為は特許権の効力が及ばない」とされてきた常識を覆し、美容目的の医療行為にも特許権侵害が成立するという画期的な判断を示しました。

この判決は、成長著しい美容・再生医療分野における特許保護の新たな境界線を明確に示したものとして、業界関係者から大きな注目を集めています。

事件の概要:血液豊胸術を巡る特許権侵害訴訟

当事者と争点

原告(控訴人): 株式会社東海医科(特許権者) 被告(被控訴人): 美容クリニックを経営する医師Y

争点となったのは、特許第5186050号「皮下組織および皮下脂肪組織増加促進用組成物」です。この特許は、以下の3成分を含有する豊胸用組成物に関するものでした:

  1. 自己由来の血漿
  2. 塩基性線維芽細胞増殖因子(b-FGF)
  3. 脂肪乳剤

訴訟の経緯

東海医科は、医師Yが行う「血液豊胸術」がこの特許権を侵害するとして損害賠償を請求。一審の東京地裁では、3成分の同時混合の事実が十分に立証されていないとして請求棄却となりましたが、知財高裁は大合議事件として審理し、逆転判決を下しました。

知財高裁大合議判決の3つのポイント

1. 侵害事実の認定:薬剤ノートが決め手

裁判所は、被告医師が記録していた薬剤ノートの記載などを詳細に検討し、3成分が実際に混合されていたと認定しました。この事実認定の逆転が、判決の結論を大きく左右することになりました。

2. 「産業上利用可能性」の新解釈

被告側は「患者から採血し、最終的に体内に戻すものは特許対象外」と主張しましたが、裁判所はこれを退けました。

裁判所の判断: ヒト由来の原材料を使用し、最終的に人体に投与される物であっても、「物の発明」として特許法29条1項の要件を満たす

この判断により、iPS細胞やES細胞などを用いた再生医療分野の技術開発が、特許による保護を確信できる法的基盤を得ることになりました。

3. 「調剤行為の免責」の適用範囲を限定

最も注目すべきは、特許法69条3項(調剤行為の免責)の解釈です。

従来の理解: 医療行為全般に特許権の効力は及ばない

今回の判決: 美容目的の施術は「病気の診断、治療」ではないため免責対象外

裁判所は、豊胸術の目的は「主として審美にある」として、現在の社会通念に照らして治療行為とは認められないと判断しました。

損害賠償額:約1,503万円の支払命令

裁判所は特許法102条に基づき、被告の売上高約1億7,000万円の8%にあたる約1,503万円の支払いを命じました。

算定方法の先例的意義と未解決の問題

この算定方法は美容医療分野における損害額算定の先例となる一方で、重要な課題も浮き彫りになりました。

美容医療サービスの収益には、特許組成物以外にも多くの要素が貢献します:

  • 医師の個人的なスキルや経験
  • クリニックのブランド力や立地
  • 顧客対応やアフターケア
  • 広告宣伝活動や集客力

しかし、今回の判決ではこれらの非特許的要素の「寄与度」がどのように評価されたかについては詳細な言及がありませんでした。

今後の課題: 今後の同様の訴訟では、侵害者の利益から損害額を算定する際に、特許技術の貢献度をどう立証し、評価するかが重要な争点となることが予想されます。この「寄与度」の立証責任や評価方法の確立が、美容医療分野における特許訴訟の重要な課題として残されています。

賛否両論が渦巻く

肯定的意見

技術開発促進派の見解:

  • 美容・再生医療分野の「物の発明」の特許保護が明確化
  • 技術開発への投資インセンティブが向上
  • 特許制度の論理的整合性が保たれた

慎重・否定的意見

医療現場からの懸念:

  • 「美容」と「治療」の線引きが曖昧
  • 医師の萎縮効果による患者への悪影響
  • 顔面外傷の醜状痕治療など、審美と治療が不可分な領域の存在

日本弁護士連合会は意見書で、「明確な基準がなければ医療現場が混乱し、最終的に患者が安心して医療を享受できなくなる」とも警告しています。

美容医療業界への具体的影響

1. 特許戦略の重要性が急上昇

技術開発者側:

  • 美容・再生医療関連の「物の発明」の特許出願が加速
  • ライセンス戦略の見直しが必要

医師・クリニック側:

  • 新技術導入前の特許調査が必須
  • 特許権侵害リスクの法的管理が急務

2. 新たなビジネスモデルの創出

技術提供者と医療提供者の間で、特許権に基づく新たな協力関係やライセンスモデルが生まれる可能性があります。

3. コンプライアンス体制の強化

美容医療を提供するクリニックは、以下の対応が不可欠となります:

  • 事前の特許調査実施
  • 弁理士・弁護士への相談
  • 特許侵害回避策の策定
  • 適切なライセンス契約の締結

今後の展望と課題

立法的解決の必要性

多くの専門家が指摘するのは、「治療」と「美容」の明確な基準の必要性です。現在の曖昧さを解決するため、以下のような立法的対応が求められています:

  1. 特許法69条の改正
  2. 医療行為に関する特許審査ガイドラインの策定
  3. 業界団体による自主基準の確立

国際的な動向との整合性

欧米諸国における医療特許の取り扱いとの比較検討も重要な課題となっています。日本の判断が国際的な潮流と整合性を保てるかが注目されます。

まとめ:変革の時代を迎えた美容医療業界

「東海医科 v. Y」判決は、美容医療業界にとってパラダイムシフトの起点となる可能性があります。この判決により:

  • 技術開発への投資が促進される
  • 特許制度による技術保護が明確化される
  • 医療現場での法的リスク管理が必要
  • 「治療」と「美容」の線引き基準の明確化が急務

美容医療に携わる全ての関係者にとって、この判決の影響を正しく理解し、適切な対応策を講じることが、今後の事業展開において極めて重要になるでしょう。

技術の進歩と患者の利益を両立させるためには、司法判断を超えた制度的な議論と改善が必要です。業界全体でこの課題に取り組むことが、日本の医療技術の発展と国民の福祉向上につながると期待されます。

弁理士 木羽邦敏

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