Amgen「自己緩衝製剤」でEYLEA特許を突破
― なぜ1社だけがバイオシミラー市場参入に成功したのか ―
はじめに:日本でも始まったアイリーア特許紛争
2025年11月12日、バイエル薬品およびリジェネロン社は、富士製薬工業が製造販売承認を取得したアフリベルセプトBS(アイリーアのバイオシミラー)について、大阪地方裁判所に製造・販売等の差止めを求める仮処分を申し立てました。
興味深いことに、富士製薬のバイオシミラーは2025年9月19日に承認されましたが、争点となっている特許7733706号(DME用法・用量特許)は2025年8月26日に登録されたばかりです。この特許は2023年に分割出願されており、承認時点では審査中であったため、パテントリンケージ制度の対象外となっていました。
実は、アイリーア(アフリベルセプト)をめぐる特許紛争は、米国では2023年から激しく展開されていました。リジェネロン社は7社のバイオシミラー開発企業を相手取り訴訟を提起しましたが、結果は大きく分かれました。本稿では、7社中唯一の「突破者」となったAmgen社の戦略を分析し、バイオシミラー開発における迂回設計の可能性や米国分割出願戦略のリスクなどを考察します。
日本のアイリーア訴訟の詳細については、続編にて解説する予定です。
1. EYLEAとは何か
EYLEA(アイリーア)は、リジェネロン社が開発した抗VEGF薬であり、加齢黄斑変性(AMD)、糖尿病黄斑浮腫(DME)、網膜静脈閉塞症(RVO)などの治療に用いられます。有効成分であるアフリベルセプトは、VEGF受容体1および2の細胞外ドメインとヒトIgG1のFcドメインを融合させた組換え融合タンパク質です。
EYLEAは年間約60億ドルの売上を誇るブロックバスター医薬品であり、その特許ポートフォリオの帰趨は製薬業界全体にとって重要な関心事となっています。
2. 訴訟の全体像:7社への訴訟と異なる結果
リジェネロン社は、EYLEAのバイオシミラー開発を進める複数の企業に対し、US 11,084,865号特許(’865特許)に基づく侵害訴訟を提起しました。’865特許は、アフリベルセプトの安定化製剤に関するものです。注目すべきは、Amgen社のみが仮差止めを回避し、2024年10月にバイオシミラー「PAVBLU」の発売を開始したということです。
3. ‘865特許のクレーム構造
‘865特許のクレーム構造を理解することが、Amgenの迂回設計を理解する鍵となります。
3.1. クレーム1(バイアル製剤)の主要構成要件
(a) VEGF拮抗薬融合タンパク質(アフリベルセプト)
(b) 緩衝剤(buffer)
(c) 安定化剤(スクロース等の糖類)
(d) 有機共溶媒(ポリソルベート等)
(e) pHが約5.8~約6.5
(f) 所定の安定性要件
同様の構成要件で、クレーム26はプレフィルドシリンジ製剤を規定しています。
3.2. 重要なポイント
‘865特許のクレームは、VEGF拮抗薬(アフリベルセプト)と緩衝剤を別々の構成要件として列挙しています。この構造が、Amgenの迂回設計のポイントとなりました。
4. Amgenの「自己緩衝製剤」戦略
4.1. EYLEAとPAVBLUの製剤比較
| 成分 | EYLEA(2mg) | PAVBLU(2mg) |
| 緩衝剤 | リン酸ナトリウム | なし |
| 塩化ナトリウム | 40 mM | なし |
| スクロース | 5%(2.5 mg) | あり(2.5 mg) |
| トレハロース | なし | あり(1.58 mg) |
| ポリソルベート20 | 0.015 mg | 0.005 mg |
| pH | 6.2 | 6.2 |
決定的な違いは、PAVBLUが緩衝剤(リン酸ナトリウム)を含まないことです。
4.2. 自己緩衝能のメカニズム
Amgenの製剤が緩衝剤なしでpHを維持できるのは、アフリベルセプトタンパク質自体が緩衝能を持つからです。
タンパク質の自己緩衝能は、以下のアミノ酸残基の側鎖に由来します:アスパラギン酸(Asp、pKa ≈ 4.0)、グルタミン酸(Glu、pKa ≈ 4.4)、ヒスチジン(His、pKa ≈ 6.0)。pH 4.0~6.0の範囲では、これらのアミノ酸残基がプロトンの授受を行い、緩衝能を発揮します。
4.3. Amgenはなぜ迂回設計に成功したのか
重要な事実として、Amgenは2005年時点で既に「Self-Buffering Protein Formulations」に関する仮出願(US 60/690,582)を行っています(WO 2006/138181として公開)。さらに2008年の「Self-Buffering Antibody Formulations」(Amgen所属のGokarn et al., J Pharm Sci. 2008; 97: 3051–3066)という論文を発表しています。これら公報や論文は、抗体の自己緩衝能に関する内容であり、抗体濃度が60-80 mg/mLなどに達すると、自己緩衝能が従来使用されていた10 mM酢酸緩衝液を上回ることなどを実証しています。
実際、これまでに市販されているモノクローナル抗体製剤のうち、緩衝剤を添加せずに製品化された例はHumira®(アダリムマブ)の100 mg/mL高濃度製剤のみです。しかし、これは高濃度製剤であるからこそ、抗体自体の緩衝能を活用できた事例といえます。
注目すべきは、PAVBLUが40 mg/mLという低濃度でありながら、緩衝剤なしの製剤化に成功している点です。この濃度では抗体の自己緩衝能だけでは十分でない可能性があり、AmgenがUS 12,156,900号特許で示したスクロースとトレハロースの組み合わせによる安定化技術など、追加の製剤設計上の工夫が不可欠であったとことが考えられます。
つまり、Amgenは、EYLEA特許を見て、迂回手段として自己緩衝能の研究を開始したわけではなくではなく、元々保有していた自己緩衝製剤技術のポートフォリオから、アフリベルセプトに適用可能な戦略を選択して迂回設計に至ったと考えられます。
5. 他社はなぜ差し止められたのか
Samsung Bioepis、Formycon、Celltrionなど他のバイオシミラー開発企業は、EYLEAと同様に緩衝剤を含む製剤を開発しました。これらの製剤は’865特許のクレームに記載されたすべての構成要件を満たしており、クレーム文言上、侵害を回避することが困難でした。連邦巡回控訴裁判所(CAFC)は2025年1月、Samsung BioepsisおよびFormyconに対する仮差止めを支持し、両社のバイオシミラー発売は阻止されました。
なお、MylanおよびSandozも和解に至っています。いずれも緩衝剤を含む製剤であったため、訴訟を継続するよりも和解による市場参入時期の確保を選択したのかもしれません。
6. Regeneronの新たな特許戦略:’099特許と「審査遅延」問題
6.1. CAFC敗訴翌日の反撃出願
2025年3月14日、CAFCはAmgenに対する仮差止めを否定する判決を下しました。この判決は、Amgenの自己緩衝製剤が’865特許を侵害しない可能性が高いと認定したものです。
注目すべきは、Regeneronがこの敗訴の翌日に「緩衝剤」を構成要件に含まないアフリベルセプト製剤をクレームする継続出願をしたことです。
この出願は、迅速審査を利用して2025年6月17日にUS 12,331,099号特許(’099特許)として登録されました。’099特許は’865特許と同じファミリーに属する継続出願であり、2006年6月16日の仮出願に優先権を主張しています。
そして’099特許の登録と同日に、Amgenの自己緩衝製剤がこの特許を侵害しているとして新たな侵害訴訟を提起しました。‘865特許では「緩衝剤」を含む製剤をクレームしていたのに対し、’099特許は「緩衝剤」を構成要件に含まない製剤をクレームしており、まさにAmgenの自己緩衝製剤を狙い撃ちにした特許といえます。
これに対し、Amgenは以下の反訴を提起しています。
(1)Prosecution Laches(審査遅延)
Amgenは、Regeneronが18年間にわたり「緩衝剤」を構成要件に含まない製剤のクレームを追求せず、Amgenがその技術に多大な投資をした後に初めて権利化を図ったことは「審査遅延」に該当し、特許は権利行使不能であると主張しています。
(2)Inequitable Conduct(不公正行為)
Amgenは、Regeneronが重要情報の不開示などによりUSPTOを欺いたとも主張しています。具体的には、2025年3月14日のCAFC判決(「緩衝剤なし製剤を発明したのはRegeneron社ではなくAmgen社である」と認定)を、特許発行費用を支払った翌日までIDSで開示しなかったこと、進行中の訴訟やAmgenの自己緩衝製剤「PAVBLU」のラベル情報も開示しなかったことなどを挙げています。
6.2. 日本の分割出願との比較
日本では、親出願の明細書に記載された範囲内であれば、競合製品の登場後にクレームを調整する分割出願は一般的な実務であり、重要な出願についてはこの戦略がとられています。しかし、米国ではこのような、いわゆる「後追い特許」がProsecution Lachesとして権利行使不能と認定されるリスクがあります。日本で当然視されている分割出願戦略を、米国で「安易に」行うと異なる結果を招く可能性があることに留意すべきです。
7. バイオベンチャー・製薬企業への実務的示唆
7.1. Amgenの成功から学ぶべきこと
(1)技術ポートフォリオの戦略的活用
Amgenは2005年から自己緩衝タンパク質製剤に関する研究を蓄積し、複数の特許出願や学術論文を通じて包括的な知的財産ポートフォリオを構築していました。重要なのは、この技術基盤が当初からバイオシミラー開発を念頭に置いたものではなかったという点です。自社の既存技術を新たな競争環境に適用する柔軟性が、他社との差別化を生みました。
(2)「コピー」を超えるバイオシミラー戦略
他のバイオシミラー開発企業がEYLEAの製剤組成を忠実に再現しようとした結果、’865特許の侵害を回避できませんでした。一方、Amgenは「先発品と同等の有効性・安全性」という規制要件を満たしつつも、製剤設計においては独自のアプローチを採用しました。バイオシミラー開発においても、製剤科学のイノベーションが競争優位性となり得ることを示す好例かもしれません。
(3)早期のFTO分析と戦略的な製品設計
Amgenの自己緩衝製剤の成功は、製剤科学者による技術的解決策、知財部門による競合特許分析とFTO評価、そして薬事部門によるバイオシミラー承認要件の充足という、3つの専門性が緊密に連携した結果ともいえます。特に、開発初期段階から競合特許のクレーム構造を詳細に分析し、迂回可能性を検討していたことが、最終的な訴訟での勝利につながった可能性があります。
7.2. 先発企業への示唆
Regeneronの’099特許に対するAmgenの反訴は、安易な「後追い特許」戦略の限界を示すものかもしれません。18年間追求しなかったクレームを、競合製品の登場後に突如として権利化しようとする行為は、一定要件のもとProsecution LachesやInequitable Conductのなどのリスクを伴うことを示しています。特に、CAFCの仮差止め否定判決の翌日に新出願を行ったという事実は、Regeneronの意図に関する疑問を生じさせる余地を与えています。
8. 今後の展望
米国におけるアイリーア訴訟は、今後の展開が注目されます:
(1) ‘099特許に関する本案訴訟の帰趨:Amgenの反訴(Prosecution Laches、Inequitable Conduct)が認められるか?
(2) PTABにおけるIPRの動向:Samsung BioepsisやFormyconが提起したIPRの結果
(3) 他社との和解動向:Sandoz以外の企業との和解交渉
まとめ
本稿では、リジェネロン社のEYLEA特許訴訟において、Amgen社が7社中唯一の「突破者」となった経緯を分析しました。
主要なポイント:
1. Amgenの迂回設計は計画的:Amgenは2005年から自己緩衝製剤技術を蓄積しており、リジェネロンの出願より前に仮出願を行っていました。PAVBLUは、この技術ポートフォリオを活用した結果。
2. クレーム構造の重要性:‘865特許のクレームが「緩衝剤」を独立した構成要素として列挙していたことが、Amgenの非侵害主張の根拠。
3. 継続出願戦略のリスク:Regeneronの’099特許に対するAmgenの反訴は、米国における「後追い特許」のリスクを浮き彫りにしています。日本で一般的な分割出願戦略が、米国で安易に使用するとProsecution Lachesとして評価される可能性。
4. サイエンスと知財の緊密な関係:Amgenの成功は、製剤科学の深い知見と知財戦略の緊密な連携によって実現されました。バイオシミラー開発においても、単なる先発品のコピーではなく、技術的差別化が競争優位の要ともなり得ます。
続編予告
日本のアイリーア訴訟については、続編にて詳細に解説する予定です。以下のトピックを取り上げます:
・特許7733706号(DME用法・用量特許)の争点
・パテントリンケージを「超えた」承認と分割出願戦略
・メニエール病事件との比較
・日本企業への実務的示唆
本稿は筆者の個人的見解であり、特定の法的助言を構成するものではありません。個別の事案については、無料相談にご相談ください。
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引用
- Regeneron Pharmaceuticals, Inc. US 11,084,865 B2, “Stable Protein Formulations Containing Anti-VEGF Antibodies,” issued August 10, 2021.
- Amgen Inc. WO 2006/138181 A2, “Self-Buffering Protein Formulations,” published December 28, 2006.
- Amgen Inc. US 12,156,900 B2, “Stable Pharmaceutical Formulations of Aflibercept,” issued December 3, 2024.
- Regeneron Pharmaceuticals, Inc. US 12,331,099 B2, “Stable Liquid Ophthalmic Formulation,” issued June 17, 2025.
- Gokarn YR, et al. Self-buffering antibody formulations. J Pharm Sci. 2008;97(8):3051-3066.
- Peng Y, et al. Monoclonal antibody formulations: a quantitative analysis of marketed products and patents. MAbs. 2025;17(1):2580696.
- Regeneron v. Amgen, U.S. Court of Appeals for the Federal Circuit, March 14, 2025.
- Regeneron v. Samsung Bioepis & Formycon, U.S. Court of Appeals for the Federal Circuit, January 29, 2025.
